黒澤監督のそばにこの人がいた~小泉堯史監督のトークイベント報告~

16/11/06

だいぶ寒さが増してきた11月最初の休日は、きれいな秋晴れとなりました。
11月3日、長年黒澤監督の傍で助監督を務められた小泉堯史さんが、監督の遺稿をもとに完成させた監督デビュー作『雨あがる』の上映後、小泉監督にご登壇いただき、黒澤監督との出会いから『雨あがる』までに至るお話をお聞きしました。

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記念館入口から何気なく入ってきた小泉監督のカッコ良さにまず驚きました。背が高くがっちりした体格、ジーンズに黒のジャケットというシンプルな出で立ちが、監督自身のかっこ良さを際立たせています。そしてバリトンのよく響く重みのある声!
恐らく凄まじい存在感であったであろう黒澤監督の近くで、さすが30年近く一緒に仕事をされてきた方だ!と納得できる迫力でした。

そしてこの日は、お客さんの中にも小泉監督同様、背が高くがっちりした体格の方がやたらと多いなぁと思っていたら、それもそのはず、『影武者』の撮影時にオーディションで選ばれ、その後『乱』でも大いに活躍したという「三十騎の会」のメンバーの方たちが何名か来てくださっていたのでした。それにしてもすごい迫力…黒澤作品の現場はこのくらい強靭な肉体と精神がなければ大変だったのでしょうね。

小泉監督と黒澤監督の出会いは、小泉監督が早稲田大学を卒業したばかりの頃、黒澤監督が木下惠介、小林正樹、市川崑監督らと「四騎の会」を結成し、『どですかでん』の製作に入った頃だったようです。ご自身の脚本を見てもらったところ、「95点」という思わぬ高得点をつけられ、本当に嬉しかったと話していました。
完璧主義の黒澤監督は、自分のスタッフには大変厳しかったと言われていますが、撮影に協力してくれたエキストラやアマチュア俳優たちにはとても優しかったというエピソードも数多く残っています。小泉監督の脚本に対しても、きっと映画を志す若者の情熱を喜んでくださったのではないでしょうか。

黒澤監督がソ連に招かれて『デルス・ウザーラ』を撮影していた間、小泉監督は同郷の深作欣二監督『軍旗はためく下に』(1972年)や吉村公三郎監督の助監督を務めたり、元々早稲田大学に入る前に現在の東京工芸大学で写真を学んでいた技術を生かして、市川崑監督の『股旅』(1973年)のスチルを担当したりしていたそうで、その当時、特定の映画会社に所属しなくても、そんな働き方があったのだなぁと興味深かったです。

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その後、『影武者』からは脚本執筆や資料集めの段階から黒澤監督のサポートを務め、結果的に監督の後継者として、遺稿『雨あがる』を映画として完成させた小泉監督。そんな監督のお話はやはり、師・黒澤監督への敬愛の念に満ち溢れていました。
ご自身の作品よりもよっぽど黒澤監督の映画を見てほしい、とためらいもなく述べられ、生前黒澤監督が観客に対して、「映画を見る力が衰えたら終わりだ。良い映画を沢山見て映画を見る力を養ってほしい」と常々口にされていたことを挙げ、若い人にもっともっと見てほしい、皆さんもお子さんやお孫さんがいましたら是非一緒に見に来てください、と語りかけていたのがとても印象に残っています。
それはお客様への言葉であったと同時に、私たち映画を見せる側の人間に対する痛切な願いのように聞こえました。私たちも、ただ映画を上映すればいいのではなく、いかに若い世代の観客を取り込み、素晴らしい作品を知ってもらうことができるか、これからますますその使命が重視されることになるでしょう。

黒澤監督の作品が、そして120年あまりの映画の歴史の中で作られてきた数多くの名作が、何度でも再発見され、新たな観客の目に触れる機会を、私たちはこれからも作っていきたいと思います。
そして小泉監督、黒澤監督の意志を広く伝え続けるとともに、新しい作品を作り続けていってください。楽しみにしています。

追伸:『雨あがる』で衣裳を担当された黒澤和子さんの話題が出た際、「和子さんは本当に黒澤監督にそっくりでねぇ…」というコメントが、まさに前回ご登壇いただいた三船史郎さんとまったく同じだったのがとても可笑しかったです。そんな黒澤和子さんは年明け1月13日(金)のトークイベントでゲストとしてお越しいただきます。チケットは12月3日(土)からの発売です。こちらもどうぞお楽しみに!(胡桃)